判定基準

はてなブックマーク - [NS] 父親にメールを送りながら亡くなった気仙沼の女の子はいなかった

この辺の話題.どんな自称「真実のストーリー」でもそうだけど完全に信じるならそれなりの根拠を求めた方が良いですよね.「イイハナシダナー」って感動するのは別に勝手ですけどそれとその話を事実と信用するのは別.個人的にもし自分が騙されたらそれは騙されたおれが馬鹿だったと思うし,誰かが騙されてるのを見ても実害無さそうなら「騙されてんなーw」て思うだけで済む.創作者に対しては「一杯喰わされたわ」とか思うくらいなもん.

まあ一言一句「真実のストーリー」なんてそうそう無いですし.その話が発表されていると言う事は「俺が感動したから皆にも伝えたい」とか「この話はウケる!」だの「コレは騙せる!」って主観が盛られちゃってるんだから全部が「嘘」でないにしても「相当話しフカしちゃってんだろうなー」と思いますよね普通.だからまあこの手の話を読んでも大抵は「事実性は兎も角感動した」とか「ふーん」で終わっちゃう.

しかし今回の気仙沼ちゃんの件は不快.これはキモイ.以前あった「ゲーセン少女」は纏めスレで途中まで読んでリアリティ感じず面白くなかったので途中で切っちゃったので事実性の判断もしてないし感動もし損ねてるんですが,後の騒動を知っても「いい話聞けて良かったじゃん」程度にしか思わなかったのと対照的です.

brainparasite 書籍
「ありが」で終わるのは「かゆうま」的な創作リアリティっぽい。さらにその後に享年とか付けるのがギャグにしか見えない。あとこういう文面を手書きイラスト化してるのにゲロ出そう。 2012/03/10

http://b.hatena.ne.jp/brainparasite/20120310#bookmark-84660985

id:brainparasiteさんのこのブコメの"こういう文面を手書きイラスト化してるのにゲロ出そう"てのが正におれの印象と一緒なのですが,ぱっと見の時点では商売にする気満々は検知してないのでそういう下衆に脊髄反射した訳じゃあ無いのですよ.なんだろうね.ちょっと考えてみたんだけど,おれの「真実のストーリー」快不快判定基準は多分その「真実のストーリー」の自称体験者が作者自身なのか他人なのかに依存して居るんじゃないかしら.

アレだ,マック女子高生メソッドのアレ.「俺の体験したいい話を聞いてくれ」なら「てめえ嘘じゃねえかよ」「釣られました?」が成立する信頼関係.それが「誰かが言ってた真実のストーリー」だともう逃げる気満々感.更にその上,今回のはあの絵手紙風POPからは作者がそれを書いてる時のウヒウヒ感がビンビン感じられっちゃう.実際これ感動する話じゃなくて沈痛する話だろ?それをこの作者は楽しそうに伝えてるんだよね.そう感じるのがあのPOP.不快感の正体.気持ち悪いよねー.

吸自意識鬼

シロクマ先生のエントリ
「お前は自意識の吸血鬼だ」と嫁に言われてしまった - シロクマの屑籠

一見して気持ち悪い内容なんですが青酸っぱい青春にアテられちゃって儂も儂もって若返った気になっちゃう老人はチャーミーグリーンのCMとか「ノスタル爺」...は違うか...*1でも微笑ましく描かれてたアレに過ぎない訳で殊更醜悪に「自意識の吸血鬼」とか言うものでもないっつーか.まあ若造の自意識なんて誰かに啜られるようなものでなく迸る白濁した青春は年寄りが絞り取ろうったって近づけぬ程にどぴゅーっと漏れ出ててしまってる類のものだから老人はその圧力で遠巻きから飛沫を浴びるしか出来なかろうて.今風の喩えで言えば放射能と放射線みたいなもんだからゴジラでもない限り「吸い取る」なんて出来ないからダイジョーブ!今回ばかりはシロクマ先生の言い訳に賛同しちゃうよねー.

*1:なんだっけ「じゃあ俺たちも」「何言ってんのよ」的展開のやつ.イデオン発動編の因果地平はどうだっけ?

「OSの呪縛」という呪縛

自分で自分に呪いかけてるって事なんだろうけどね.

漢(オトコ)のコンピュータ道: 私は如何にしてWindowsの呪縛から逃れ、Linuxデスクトップという涅槃の環境にたどり着くことが出来たのか。

はっきり言って個人ユースでどのOS使うかどうかに縛りなんて無いんじゃないか.その人人の目的に応じて最も楽なOS使えば良いだけであって.呪縛はOSにではなくて「特定のOSの利用を強いるシステム」に存在する.コンピュータをインターネット閲覧や音楽再生位にしか利用しないのであればOSはなんだって良いし呪縛はない.私は自宅ではOpenSUSEを利用しているけれども特に不便を感じた事は無いが,これはweb閲覧や音楽/動画再生程度にしかコンピュータを利用していないからである.で,Linux使っているとWinOSでは簡単にできるのになかなか実現できないいくつかの事が時々出てくるのだが,これについては一通り頑張ってどうにもならんかったり著しく効率が落ちる時はしょんぼり仮想環境でWinOSを起動したりしている.私は幸いにPCでハイエンドなゲームを嗜まないのでこれでどうにかなっているが,LinuxでどうにもならんPC使いをしている人も居るだろう.そういう人に「それらを諦めてLinuxを使え」とはとても言えない.またそれらLinuxで出来ない事のうちいくつかについてはLinux側で対応できるようにすべきとも思わない.それを願うのは原理主義者であろう.原理主義者はそれ故,自分に呪いをかけLinuxを使えない諸々を「呪縛」と思ってしまうのだろうが,それは間違いである.
マカーは多分Windowsでしか利用できないシステムを「呪縛」と思っていないだろう.「ビジネスではWinOS使えばいいじゃん,でもクリエイティブなプライベートではMACOS使うよな」とか宣伝しちゃってる.その差別化がMACOSのシェアを拡大させる一助になっているようにも思う.それはそれで鼻についちゃったりするんだけどさ.

結論:好きなOS使えよ.