今さらだが『ウルトラセブン』=実相寺昭雄は大嘘。放映リストwikipedia:ウルトラセブンを見れば『セブン』は監督よりもむしろ脚本家のものであることは明白。金城哲夫と上原正三は言うまでもないが、市川森一と藤川圭介の回に佳作が多い。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090911/p2
って書き出しだったので当初どこかで「ウルトラセブンは実相寺昭雄氏の功績!異論は認めない!ムヒー!!」みたいなオタ暴論があった上での反論かと思って読んでみたら反論でもなんでもなく単に市川森一を持ち上げたいだけのエントリだったでござる.
であれば素直に「ウルトラセブン」をダシに市川脚本を褒めそやせば良かっただけなのに,なぜわざわざ実相寺監督貶めて「ウルトラ=実相寺という「誤解」は
(略)「「捏造」されたものだろう。
」とか「実相寺昭雄なんか大したことない
」ってのは必要だったのか?この不快感が「ネガコメ」を呼ぶのだろう.
藁人形はスルーして単に「『ウルトラセブン』=実相寺昭雄
」説を否定したいのであれば「ウルトラセブン49話中4話しか監督してない」と言う事実だけで十分だろうし,「実相寺監督は独特のアングル多用するので素人でも見分けられやすく,その映像表現が一寸変わってて判りやすいからヌルオタでも簡単に評論出来るってだけ」とでも言っておけばいいのだ.特オタ界隈でも実相寺監督は「ウルトラシリーズの監督」として持ち上げられると言うよりは「ウルトラシリーズ中でも異色な映像回の監督」として評価されていると言うのが実情だろう.概ねあさりよしとおの漫画「宇宙家族カールビンソン」に登場する「ジッソーくん」の扱いが特オタの実相寺監督の評価と思って良い.
まあ実相寺監督評価を否定したい,或いは実相寺監督批判したいだけだったら後半のウルトラシリーズと全然関係ない市川森一持ち上げは不要かつ書き得ない.後半の市川森一持ち上げこそがあのエントリの主題だったのだろう.
だとすると誰も思っていない「ウルトラセブン=実相寺昭雄」って価値観を「大嘘」と枕に持ってくるのは藁人形論法に他ならず,その目的は自説に過ぎない脚本家或いは市川森一持ち上げを「正当化」する為だったと言う事になる.単なる脚本家持ち上げエントリであればスルーか同意しかしないだろうが,それを「正当化」しようとすればそれは単なる個人の批判批評ではなくなりそこに「事実を捏造する意図」が感じられっちゃうので批判を呼ぶ.
オタ同士でどうでも良い事を延々gdgd議論するのは良くある事でそれはそれでオタ的は楽しい.そう言う議論を吹っかける時には正にこのように「俺の考えをデファクトスタンダードと正当化」している論法を用いる訳だけれども*1,そうしたオタ議論を呼び起こしたいが為にこうしたエントリを書いたのであればこれはオタとして正しい.けれどもその後の「http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090913/p1」と言うエントリを読むと彼は高々ブコメのネガコメ程度を「阿呆で間抜け」だと批判しなければ気が済まず,且つ「鬱陶しい」と宣言しなければならない程に不快を感じてしまっている様だ.このエントリまで含めてオタ芸であるならば良いのだが,そうではなく本気で不快と思っているのであれば自身の意見を無制限に開陳しない様にするか,藁人形メソッドや正当化論法を改めた方がインターネットで平穏に過ごせるのではないか,老婆心ながらそう提案する.
*1:「俺の勝手な意見」と言うだけではオタはそれを尊重してしまうので