triggerhappysundaymorning

ガソリンスタンドに住みたい

客観性

まず、例として
「一人の男子学生と大人数で囲んで、ズボンを降ろし、性器を露出させる」という行為で考えていった。
被害者・加害者それぞれの主張に「客観性」という第三者が介入する。

介入の仕方が問題だ。
客観性が「けんか両成敗」という裁きを下すことで、
性暴力は「けんか」という言葉に矮小化され、
「両成敗」ということで、加害者・被害者の図式が破壊される。

http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20090426/1240751522


これは酷い.「客観性」という第三者なんて表現が酷いのだけどこれほど露わに混同しているので恐らく本人も混同しているのだろう.悪意をもって意図的に両者を混同したのであればもう少し上手く書くだろうから.


この例では「男子が性器を露出させた」「それを第三者が『客観的』に判断してけんか両成敗とした」事が客観的な事実である.


「第三者が『客観的』に判断した」と言う箇所の文言は,より正確に記すと「第三者が自身の独自の判断で客観的と思う原理に従って判断した」となるだろうが,その判断基準の「客観性」はこの第三者の主観によるものであろう.よってこの判断は多分に第三者の主観を反映したものであり,当人が客観的と言っているだけである.


客観とはたいていの場合単なる事実/起こった出来事の記述と思っておけば良いかも知れない.