triggerhappysundaymorning

ガソリンスタンドに住みたい

凌辱エロゲ問題についての雑考.

個人の性を開示せずに凌辱ゲームは正当化できるか? - 脳髄にアイスピック」とか「「レイプの好きなボクちんを理解してえ〜」 「キメえから規制しろ!!」 以上w - 消毒しましょ!」を読んでちょっと思った事を書き留める.


凌辱エロゲが「現実に」反社会的なのかどうかについては大いに疑問がある.無論その内容が不道徳的であることは認めるのだが.
例えばやくざ映画好きな人が居るとして,彼らのすべてが現実に自分も暴力団組織に入って悪事を働きたいと思っているとは普通考えないだろう.敵対組織の組長を殺害するやくざに憧れたとしても,自分も現実で同じ事をしたい等と思う奴はまず居ないだろ.ホラー映画が大好きだからと言って実際にゾンビに教われたいなどと考える人は居ないだろう.
彼らか架空のシチュエーションで,実在の誰か(自分含む)に被害が及ばないからこそ,それらフィクションを楽しめるし,安心してそのストーリーや主人公の行動に心酔できるのだろう.
ゲームのプレイヤーの入力した行動を実際に他の誰かが現実で行って,それを撮影した本物の現場映像が流れる凌辱エロゲがあったとして,殆どの凌辱エロゲーマーはそんな恐ろしいゲームをやりたいと思わないんじゃないか.どうせ自分がやる和気じゃあないからってうっかりプレイする馬鹿が居たとしても,実際になされた映像を見たら嫌悪感に教われるんじゃないだろうか.
お化け屋敷が楽しめるのは,それが「非常にリアル」な「フィクション」だからこそだろう.今思い出したけどウエストワールドって映画があってさ,この映画ではウエストワールドという架空のテーマパークが登場して,そこではユル=ブリンナーそっくりなロボットを相手に西部劇を演じることが出来,客はロボット相手にガンファイトをして楽しむ事ができる.ロボットは常に客である人間よりもわずかに「遅く」銃を抜くので常に客が勝つので名ガンマンになったつもりで大いに楽しめる.ところが原因は忘れたけどロボットが「故障」して,機械の素早さ正確さを持って人間を撃ち殺したりする様になる.それまで非常に「リアル」な西部劇を楽しんでた客たちは,それまで以上に「リアル」ないつ殺されるかもしれない状況に直面して楽しむどころか恐怖ですくみ上がってしまう.
無論本物の変態の中でもハイエンドな気違いは現実にも凌辱したいと考えるだろうが,それはそもそも気違いなのだ.反社会的だったり不道徳な事を想像して,或いはフィクションで楽しむ事が,現実に反社会的な行為であるとは考えることが出来ない(道徳については内面的な問題でもあるのでこれら行為が十分不道徳的であるとは思うが).背徳的な事を想像したりする事は楽しい.お互いが合意の元で背徳的なプレイを現実に行うのも楽しいだう.しかしこれらが反社会的な行為だとは言えないだろう.


一部の人が凌辱エロゲや,やくざ映画や,ホラー映画や,ロボット相手のガンファイトに不快感を持つ事は想像に難くない.さらに一部の人はそれらを見たり聞いたりする事で傷ついてさえしまうだろう.そうした人達が傷ついたままで良いなどとは誰一人思っていない筈だ.しかしその為にそれら「表現」をすべて規制し,無くしてしまうというのは,あまりにも幼稚で暴力的な発想だろう.中にはこれを利用して自分が不快なものを片付けてしまおうと考えている馬鹿も居るようだが,それは例えば「俺は不細工がミニスカート履いてるのが不快で成らないから不細工はジャージ以外禁止な」と言う主張を認めるのに等しい.阿呆でしょ?そんなの.
実際に搾取される被害者が居る実写ロリは無論規制するしかないだろうが,超リアルな3DCGによる実写そっくりロリまで規制する必要は無い.その規制は搾取される被害者を出さないための措置としてなされたものであり,その表現が不快だからでは決してない.超リアルCGだって言い訳で実際の誰かが搾取される可能性はあるが,それは撮影に使った3Dデータを精査すれば言い訳かどうか判断できるだろう.
規制以外の方法を考えるんだ.それはゾーニングだったり,一目に触れるところで凌辱エロゲをした人に対する罰則だったり,不快に思う側の人のナイーブさの克服だったりするかもしれないが,規制以外の方法を考えるんだ.


「不快に思う人の側のナイーブさの克服」等というと直ぐに「不快に思う方が悪いって言うのか!」と言い掛かりをつけてくる人が居るけれども,それは違う.例えばポルノを見て傷つく人が居るとして,その人が悪いということは決してない.但し,その人が「傷つくこと」は良いことではない.不用意にポルノを露出させない配慮は必要だろうが,それでも尚,うっかり見てしまった時に,その人があんまり傷つかないように何らかのケアが出来るのではないかとは思うのだ.ポルノ恐怖症って事もありうるだろうから.虫恐怖症の人が虫を怖がることは悪くないだろ,別に.でもだからって虫が悪い訳でもない.そうした問題に二律背反を持ち出す頭の悪い人,一般的な性表現に対してさえ緊張を強いられる人が安心して外を歩く自由とは、両立しない。だから、どっちかを踏みにじるしかない。絶対に。論理的に。とか言い出す人は必ず出てくるが,虫恐怖症の人と虫が共存する方法は多分あるだろう.殆どの場合は.


そもそもこれは最初は表現の自由の問題ではなかったのだろうと思う.如何にして誰かにとって不快な表現を,社会が容認するかの技法の問題に過ぎなかった.と思う.