id:p_shirokuma氏の「“コミュ力”は差異化ゲーム/優越感ゲームに適しているか否か - シロクマの屑籠」を読んだのだが,自称脱オタがオタに対してご高説を垂れて優越感に浸っているような気持ち悪さを感じてしまったんだけどなんだこれ.
id:p_shirokuma氏の主張では
コミュ力は、差異化ゲームや優越感ゲームに直接貢献するのではなく、あくまで手段として、間接的にしか貢献しない。
“コミュ力”は差異化ゲーム/優越感ゲームに適しているか否か - シロクマの屑籠
と結論しているのだが差異化|優越感ゲーム自体がコミュ力低い人のコミュニケーション手段であって,十分コミュ力高い人はそんな方法を採らずに人間関係を構築出来る物なんじゃないの?相手の人間性を認めるとか何とかさ.
自身のコミュニケーションスキルで人間関係作れない人が物理的な攻撃力や知識や蘊蓄を競って「俺の方が偉い!」ってやって相手を支配しようとするのが差異化|優越感ゲームだと思うのだが.
もっともそのゲームの土俵に物理的な攻撃力や知識や蘊蓄でとうてい敵わない奴が苦し紛れにコミュ力を手札として持ち出すことはあるだろう.しかしそもそもコミュ力を他者と比較して優劣決める為のアイテムとして扱うことこそがその人のコミュ力の無さっぷりを表しているので,多くの場合哀れを誘う.
id:p_shirokuma氏は差異化|優越感ゲームに於いて,「コミュ力」カードを直接出しても勝てないよ,と発言したまでは良かったのだけども,コミュニケーションって別に優劣付ける必要ないじゃんってトコまで言及出来なかった故に結果,ゲームに勝つ為にコミュ力を駆使せよって勘違いをしたまま結論しちゃってるように見えるんだけど,それこそコミュ力無い人のコミュニケーション感だと思うので,そこら片が気持ち悪さの原因なのだろう*1.